各社の御船印を並べると、多様なデザインでワクワクします。船名を大きく書いたものや航路マップを載せるもの、船が発着する地域の観光名所を描いたものなど、デザインのメインに据えるものが各社で異なります。
隠岐汽船の御船印は、縁起の良い鶴と松竹梅の絵をあしらった手すき和紙に、三つの丸が大きく描かれています。三つの丸は、同社の社紋であり、船のファンネルマーク(煙突部分に描かれている会社のマーク)でもあり、地元に根付いた信仰と歴史に深く関わっているのです。
「社紋の根源は、焼火(たくひ)神社宮司・松浦家の家紋。これだけは絶対に外せないと考えていた」と隠岐汽船の担当者さん。
島根県の沖合最短約40kmに位置する隠岐諸島は、島後と島前三島(中ノ島・西ノ島・知夫里島)の四つの有人離島と多くの無人島で構成されています。本土と有人離島四島を結ぶ航路を運航し、島の暮らしを支えているのが隠岐汽船です。
西ノ島の焼火山中腹に、霊験あらたかな焼火神社が鎮座します。航海安全を守護する神大日霊貴尊(おおひるめむちのみこと)を御祭神として祭り、古くから日本海の船人に信仰されてきました。神社の言い伝えでは、旧暦12月30日に、海上から三つの火が浮かび上がり、現在社殿のある岩に入ったそうです。後鳥羽上皇が隠岐に配流された際も、航海中に遭難しかけたところ、御神火に導かれて無事島に着いたと伝わっています。焼火神社の宮司を代々務める松浦家は、三つの丸を家紋としています。
明治18(1885)年、松浦家の松浦斌(さかる)氏は、汽船購入代金の半分を負担し隠岐島四郡連合会には一切損害は掛けないという条件で同連合会を説得し、隠岐航路に蒸気船を走らせました。それまで帆船が主流で、本土へ物資を輸送するのに海上の往復だけで12日間を要したという記録が残り、操船中に多くの命や物資も海に失われてきたのです。
松浦氏は、焼火山の1万8985本の立木を担保にして借金をしましたが、その後も赤字経営で度重なる借金支払いのため立木の伐採が続き、焼火山は“はげ山”になったそうです。それでも安全輸送と島の近代化のために、粉骨砕身の覚悟で、隠岐航路の礎を築きました。
蒸気船就航の5年後、松浦氏が病気のため鬼籍に入ると、その意思を継いだ有志が出資して明治28年に隠岐汽船株式会社を設立。創業以来、同社の船舶は松浦家への敬意と航海安全を祈願して、焼火神社の前を通るときは必ず汽笛を鳴らしています。
隠岐汽船に乗り、島後と島前の各島を船上からゆっくりと眺めて過ごすのは、ぜいたくな時間です。隠岐諸島は「ユネスコ世界ジオパーク」(世界の貴重な地質遺産)に認定されており、世界に誇れる壮大な地球の造形美が広がります。
諸島内で見どころを巡るのにも、やはり船がおすすめです。
西ノ島の海からそそり立つ高さ257mの国賀海岸を遊覧するには、隠岐観光の「国賀めぐり定期観光船」。
中ノ島で海の奇岩群や海中の様子を眺めるには、海士の「海中展望船あまんぼう」。
島後を代表する奇岩のローソク島を遥拝(ようはい)するには、山陰観光開発の「ローソク島遊覧船」を。
(これらの船会社も御船印を販売しています。)
それぞれの御船印に、ドラマチックな物語が込められています。手にすると、不思議と力が湧いてくるような気がしました。
旅作家/(株)Officeひるねこ代表。 2019年~日本旅客船協会の船旅アンバサダー、2022年〜島の宝観光連盟の島旅アンバサダー、本四高速のせとうちアンバサダーに就任。2014年、讃岐広島に宿ひるねこをつくる。世界60カ国、国内130島をめぐる。既刊本多数、産経新聞や日本海事新聞などで連載中